音楽的クオリティーの高さを実感できる武道館公演

2020.06.01馬飼野元宏

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数々のビッグ・アーティストがその舞台を踏み、いくつもの伝説のステージが行われた会場、日本武道館。70年代までは、主に海外アーティストの日本公演に使用されていた同会場だが、80年代に入ると日本人アーティストにも頻繁に使われるようになった。

幾多のライブ伝説を生んだ武道館公演だが、なかでも82年6月15日から30日にかけて、10日間公演を成し遂げたのがオフコースであった。

オフコースは1970年4月5日、「群衆の中で」でデビュー。当初、3人だったメンバーは紆余曲折を経て小田和正と鈴木康博の2名だけとなり、76年には大間ジロー、清水仁、松尾一彦が加わり5人体制となる。この間もステージを中心に活動を続け、70年代終盤には高いライブ動員力を持つグループとして、大きな人気を獲得していた。こういった、ライブを中心にした活動形態は、日本の音楽シーンではまだ一般的でなく、テレビ番組への露出や、シングル・ヒットを出すことが人気アーティストへの近道であった。彼らはその中で頑なに自分たちのスタイルを曲げずに、70年代を走り抜けていった。79年には「愛を止めないで」に続く「さよなら」の大ヒットで一躍人気グループとして一般的にも知られる存在となり、この82年の武道館公演時には、彼らの人気も一つのピークを迎えていた。チケットは10日間公演で10万人の動員のところ、50万通を超える応募があったという。

オフコースは音に拘(こだわ)りの強いグループであった。特に5人体制になってからは、サウンド面のクオリティーを徹底して追求、ライブでも、80年6月の初の武道館公演では、もともとコンサート会場として作られていなかった同会場に、通常の5倍のスピーカーを持ち込んで音の死角をなくすなど、日本のライブでは当時考えられなかったほどの、秀逸な音楽環境を作り上げていた。

この82年の武道館公演の映像を見るとよくわかるが、「さよなら」「言葉にできない」「Yes-No」など幾多の名曲が、スタジオ・レコーディングとほぼ変わらない完成度で演奏されており、その再現力の高さに驚かされる。5人体制になり、バンドサウンドを極めていく過程で、彼らのステージは、その音楽的クオリティーの高さを観客に生で伝える場でもあった。当時、この公演を見た音楽関係者によると、音は海外のアーティストに比べてもかなり大音量で、しかも音質的には期待できない武道館という会場で、全体の音が歪むことも、個々の音が混じり合うこともなく、クリアに聴こえて驚いたという。このステージが日本のライブ史に残る伝説といわれるのも、こういった音へのあくなき追求があったからであろう。実際、38年前のこの公演の映像をあらためて見直しても、そのサウンドのクオリティーの高さは驚異的で、そこで歌われるラブソングの普遍性も含め、これが2020年の公演であったとしても納得できてしまうほどの完成度だ。時を経ても全く古びることのない音楽性こそが、オフコースの最大の魅力であり個性なのである。

その一方で、ライブならではの「生」の魅力、観客とのコミュニケーションや、バンドならではの勢いやテンションの高さも存分に確認できる。長い雌伏の期間を経て、音への徹底した拘りを極め、ライブ・バンドとしての経験の多さが見事に集約されているのが、この武道館10日間公演なのだ。当時から「テレビに出ないグループ」と言われていた彼らだが、テレビ露出で顔と名前を売るよりも、レコーディングに多くの時間を割き、ライブ活動で地道にファンを増やしてきたことの成果が、ここで改めて証明されたのである。また、鈴木や松尾がヴォーカルをとる楽曲も収録されており、メンバーそれぞれの個性の違いを楽しむことができるのも、オフコースのライブの魅力である。ストイックな姿勢で精緻に構築された楽曲づくりの印象が強い彼らだが、ライブでの弾けっぷりには、バンドとしてのモチベーションの高さが伝わってくる。

この武道館10日間コンサートは、前年にリリースされたアルバム『over』を引っ提げての全国ツアーの、最終公演でもあった。このアルバムのタイトルが意味するところ、またこの時期に解散の噂が流れたこともあり、会場は異様な緊張感を孕(はら)みながら熱狂の渦へと進んでいった。後半、「言葉にできない」で小田が涙ぐんでしまい歌えなくなる瞬間は、本公演のハイライトともいうべきシーンだろう。

コンサートが終了すると、客出し用のBGMで「YES-YES-YES」が流れる。それに合わせ自然発生的に、観客たちの大合唱が起こった。まるで、ライブの1曲目で歌われた「愛の中へ」で、小田が「きかせてあなたの声を」と歌ったことに呼応するかのように。ライブとはアーティストだけでなく、スタッフ、そして観客も一緒になって作り上げるものだという、今はごく普通に誰もが語ることを、オフコースのファンたちは82年の段階で、ごく自然に実践していたのである。これもまた本公演の名場面の1つだ。

オリジナル・メンバーである鈴木康博は、この武道館公演を最後に、オフコースを脱退する。解散は回避され、4人体制のままオフコースは89年まで活動を継続した。今もその音楽性の高さ、ライブ・バンドとしての普遍的な魅力は変わらず聴く者の心を打つはずである。

(文=馬飼野元宏)

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馬飼野元宏

音楽ライター。『レコード・コレクターズ』誌などのほかCDライナーに寄稿多数。主な監修書に『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(ともにシンコーミュージック)など。近刊に、構成を担当した『ヒット曲の料理人・編曲家 萩田光雄の時代』『同 編曲家 船山基紀の時代』(ともにリットーミュージック)がある。歌謡ポップスチャンネル『しゃべくりDJ ミュージックアワー!』ではコメンテーターを担当した。

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