ライブバンド=チューリップの矜持に満ちた映像作品

2021.01.27馬飼野元宏

福岡市の天神にあるライブハウス「照和」は、70年代のフォーク、ロック・シーンに詳しい人なら、一度はその名を聞いたことがあるだろう。福岡を中心にした九州のミュージック・シーンを支えたライブハウスで、九州圏のアマチュア・ミュージシャンはまず照和のステージに立つことを目標としていた。出演者には、店の食事がギャラ替わりだったといい、また観客も耳の肥えた厳しい常連が多く、下手な歌手が出てくると帰ってしまったり、キツい野次を飛ばすなど、まるでアメリカのアポロシアターの如く、厳しい洗礼が待っていた。

照和出身のアーティストは、その後日本の音楽シーンを支える中核となっていった。その出世頭ともいえるのがチューリップである。

チューリップはメジャー・デビュー、そしてブレイクまでにかなりの紆余曲折があった。もとは68年に結成されたザ・フォーシンガーズが前身で、ここにはのちのリーダーとなる財津和夫と、ベースの吉田彰が在籍。ザ・フォーシンガーズは第3回の全日本ライト・ミュージック・コンテストに出場、九州代表としてグランプリに進出する。この時にグランプリを獲得したのが赤い鳥で、2位がオフコースであった。3組に共通するのは、それまでのグループサウンズや関西フォークなどの音楽とはまた違う、洗練されたポップ・アーティストとしての側面をもっていたこと。70年代の新しい音楽の風が吹き始めていたのだ。

ザ・フォーシンガーズは同コンテスト出場を機に70年に解散、財津和夫は吉田と末広信幸に宗田慎二を加え、チューリップを結成。1971年に4曲入りの自主制作シングルを発表し、同年に上京。東芝音楽工業の新田和長がディレクターとなり、「私の小さな人生」を発売する。ちなみに新田は早大在学中に結成されたカレッジ・フォークのザ・リガニーズのギタリストで、「海は恋してる」のヒットを飛ばしているが、卒業後に東芝に入社。前述の赤い鳥やオフコースのディレクターをつとめるほか、トワ・エ・モワ、RCサクセション、加藤和彦などを手がける、ジャパニーズ・ポップスの先駆的ディレクターの1人である。

だが、結果として財津と他のメンバーとの関係性が上手くいかなかったこともあり、宗田と末広が脱退。安部俊幸、姫野達也、そして武田鉄矢率いる海援隊に在籍していたドラムの上田雅利を引き抜き、本格的に活動を再開、72年にふたたび上京し、あらたに東芝から「魔法の黄色い靴」でメジャー・デビューする。だがそのポップ・センス溢れる音楽は、当初なかなか日本の音楽シーンには受け入れられなかった。

チューリップが全国的にその名を知られるようになるのは、メジャー・デビュー3作目となった「心の旅」で、この曲が売れなければ福岡に帰る、という背水の陣で誕生した楽曲であった。汽車での旅と別れ、というテーマは海援隊「思えば遠くへ来たもんだ」や南こうせつとかぐや姫~イルカによる「なごり雪」など、九州出身アーティストたちが一度はテーマとするタイプの作品だが、作詞・作曲の財津は、71年に大ヒットしたはしだのりひことクライマックスの「花嫁」が念頭にあったという。また、メイン・ボーカルを財津から甘い声の持ち主である姫野に交代。73年4月20日に発売され、約5カ月後の9月10日に、オリコン・シングル・チャートの1位を獲得する大ヒットとなった。

同年10月には4作目となる「夏色のおもいで」を発表。作詞をはっぴいえんどを解散して間もない松本隆が手がけており、本作が松本の作詞家デビュー曲となった。続く「銀の指環」も3作連続で姫野のボーカルによるポップ路線となり、テレビ番組にも数多く出演。ステージでも女性ファンが殺到するなど、バンドはアイドル的な人気を獲得した。当時、同じような傾向の人気を得たバンドにガロがいるが、この両グループはともにアイドル人気を脱却し、本来の自身の音楽性を取り戻そうともがき、結果としてガロは解散してしまうが、チューリップはその後も息の長いバンドとして活躍することになる。

そのチューリップが大きく路線変更するのが、74年6月5日に発売した「青春の影」で、歌詞はビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」をモチーフにしたという。スケールの大きなバラード作品で、現在では結婚式などで歌われることも多い、彼らの代表曲の1つとなった。

ところで、チューリップはデビューの頃から「日本のビートルズ」と呼ばれていた。メンバー全員が作詞や作曲、ボーカルまで担当すること、シングル曲をアルバムに収録しない姿勢などもビートルズ的で、「魔法の黄色い靴」のサイケなジャケットや、姫野の甘い声と財津の良く通る美声、そして流麗なハーモニーやソフトな曲調などにもその影響はみてとれるが、メロディー自体はビートルズからダイレクトな影響を受けたというよりも、ポール・マッカートニー的な音楽を目指していたように思える。彼らは76年にビートルズのカバー・アルバム『ALL BECAUSE OF YOU GUYS-すべて君たちのせいさ』で、自分たちのルーツに立ち返る作品を発表し、この頃から本格的にロック・バンドへと変貌していった。

その後も「サボテンの花」や「虹とスニーカーの頃」などの名作を発表し、78年には財津がソロとしても活動。79年のアルバム『Someday Somewhere』を最後に、上田と吉田が脱退し、新たに宮城伸一郎と伊藤薫を加え、第二期チューリップがスタートする。

今回放送される『TULIP Someday Somewhere』は、第一期チューリップの最後のツアーとなった79年夏の8大都市コンサート「Live Act TULIP In 8 Big Cities」の模様を収録したもの。前年に開催された野外イベント「ライブ・アクト・チューリップ・イン・鈴蘭」の成功がそのまま継続されており、ここで披露される個々のメンバーの演奏力、ハーモニーの美しさ、ライブ・バンドとしてのテンションの高さは、彼らがキャリアの1つのピークに達していることを物語っている。「魔法の黄色い靴」「虹とスニーカーの頃」などの人気曲から「私のアイドル」などのファンの支持も高いナンバーまで、第一期の総決算ともいえる内容であり、その後第二期チューリップがスタートし、82年には通算1000回のライブを達成させるなど、充実期へ向かっていく直前の、貴重な映像を是非堪能していただきたい。

(文=馬飼野元宏)

tr

馬飼野元宏

音楽ライター。『レコード・コレクターズ』誌などのほかCDライナーに寄稿多数。主な監修書に『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(ともにシンコーミュージック)など。近刊に、構成を担当した『ヒット曲の料理人・編曲家 萩田光雄の時代』『同 編曲家 船山基紀の時代』(ともにリットーミュージック)がある。歌謡ポップスチャンネル『しゃべくりDJ ミュージックアワー!』ではコメンテーターを担当した。

チューリップ

関連番組

最新の記事