「82年組のアウトサイダー」としての中森明菜

2020.07.03スージー鈴木

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「女性新人アイドルの当たり年」と聞いて、まず思い浮かぶのが「80年組」と「82年組」である。

1980年にデビューした「80年組」は、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、柏原芳恵、三原じゅん子(当時=順子)というラインアップ。1982年デビューの「82年組」は、今回の主題となる中森明菜に加えて、小泉今日子、松本伊代(厳密には前年10月デビュー)、早見優、堀ちえみ、石川秀美と、「80年組」「82年組」ともに、まさに「ザ・アイドル」とでも言うべき、キラキラとした面々である。

80年・82年前後のレコード大賞・新人賞レースを振り返ってみると、80年の前年=79年は、桑江知子と竹内まりやが競うという「アイドル感」の乏しい年で、また81年は「近藤真彦とそれ以外」という構図、また83年は、THE GOOD-BYE、岩井小百合、松本明子、森尾由美という、こちらもかなり地味な年。

さて、この「80年組」と「82年組」をひとくくりにすると「ザ・アイドル」ということになるのだが、面子(めんつ)をじっくりと見つめると、「アイドルである自分」への目線において、少しばかりの違いがあることに気付く。

「80年組」、特に松田聖子と河合奈保子は、その抜群の歌唱力とサービス精神、高い「芸能IQ」の結果として、「アイドルである自分」に疑いを持っていないように見えた。当然、内面にはそれなりの葛藤もあっただろうが、少なくともブラウン管を通して、その葛藤は、全く見えなかった。

言い換えれば、「80年組」においては「アイドル」と自分との「自己同一性」が強かったのだが、対して「82年組」は、それが弱まった。逆に「アイドルである自分を、別の自分が斜めから見ている感じ」という感覚が強くなったのだ。

筆頭は小泉今日子である。リアルタイムで「82年組」を追っていた身として言わせてもらえば、今でこそ「82年組」の代表のように取り扱われているが、デビュー当時は、キラキラした面子の中で、正直パッとしない感じがしたものだ。

しかし、「アイドルである自分」に縛られず、自由奔放な発言が増えたり、自分の判断で髪の毛をバッサリ切ったり、さらにはアイドルパロディー・ソングである『なんてったってアイドル』を歌うことで、小泉今日子の存在感は一気に増したのである。

松本伊代は、東京出身ということもあってか、「82年組」の中でも、「絶対このアイドル界で一番になってやる!」という気概の弱い、スマートな感じがしたものだ。言い換えると、普通の東京のお嬢さんが、芸能界に紛れ込んできた感じの持ち味が魅力だった。

女子大(短大)に進学したことや、某番組で自著の内容を問われて、「私も今日初めて見たんで、まだ私も読んでないんだけど」と発言した有名な事件などは、「アイドルである自分」を客観視する松本伊代の「普通感」をよく表していた。

当時、個人的にもっとも入れ込んだのが早見優である。こちらも、アイドル界での上昇志向は見えにくく、ハワイ育ちのからっと乾いた女の子が、何かの偶然で日本の湿った芸能界に紛れ込んだような自然体な感じが魅力だった。

堀ちえみには当初、「アイドルである自分を、別の自分が斜めから眺めている感じ」をあまり感じなかったのだが、『スチュワーデス物語』(83~84年)という、みんなが半笑いで見たドラマの「ドジでのろまな亀」でブレイクしたことで、アイドルパロディーの世界に、無理やり引きずり込まれることとなる。

河合奈保子を生んだ「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」出身の石川秀美も、堀ちえみに近い感じだったが、他の「82年組」に先駆けて、同じく「82年組」の薬丸裕英と、早々に「職場結婚」。意識ではなく行動として、「アイドルとしての自分」をさっさと脱ぎ捨ててしまった。

という、アイドルが自分を客観視し、パロディーの世界に突き進んでいく(その流れの延長線上におニャン子クラブが登場し、アイドル界が崩壊する)流れの中で、「アイドル」ひいては「歌手」と自分との「自己同一性」を強く持つ中森明菜がデビューしたのである。

言わば「82年組のアウトサイダー」としての中森明菜。「82年組」であって「82年組」ではなく、むしろ「80年組」の松田聖子と並ぶほどの強烈なプロフェッショナリズムをもって戦う一匹狼のような存在――。

先の「自己同一性」において、小泉今日子(弱)と中森明菜(強)は両極となる。しかし、両極だからこそ、離れているからこそ分かり合える部分もあるのだろう。6月21日に放送されたTBSラジオ『あなたとラジオと音楽と』という番組で、小泉今日子はこう語った。

――「中森明菜さんは同期で、出身番組も年齢も一緒。同志といいますか、頑張っているとうれしい。うん、同志です」。

「同志」とは、つまり「戦友」。2人はその後、まったく違う形で、その後の芸能界を戦い抜いていく。

歌謡ポップスチャンネルでは、中森明菜の誕生日(7月13日)に、彼女が出演する『レッツゴーヤング』『ポップジャム』『80年代女性アイドルソング 中森明菜アルバム・コレクション』を連続放送する。「82年組のアウトサイダー」としての魅力を、存分に堪能してほしい。

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(文=スージー鈴木)

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スージー鈴木

1966年11月26日生まれ、大阪府出身。音楽評論家にして、野球評論家でもある稀有な存在。大学在学中に“スージー鈴木”名義でラジオデビュー。その後もラジオ出演や執筆活動を精力的にこなす。著作に『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮社)、『カセットテープ少年時代 80年代歌謡曲の解放区』(KADOKAWA)、『80年代音楽解体新書』(彩流社)など多数。BS放送『ザ・カセットテープ・ミュージック』(BS12 トゥエルビ)にレギュラー出演中。千葉ロッテマリーンズの熱烈なファンとしても知られている。 

中森明菜

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