昭和の歌謡界を支えたビッグネームが揃い踏み松田聖子を支えた豪華な作家陣たち

2020.03.23馬飼野元宏/まかいの・もとひろ

松田聖子に楽曲提供していた作家陣は実に豪華なメンバーだった。「赤いスイートピー」「瞳はダイアモンド」など通算13曲を「呉田軽穂(くれた・かるほ)」のペンネームで提供した松任谷由実を筆頭に、「ガラスの林檎」「ピンクのモーツァルト」の細野晴臣、「風立ちぬ」の大瀧詠一、「チェリーブラッサム」「夏の扉」の財津和夫、さらには尾崎亜美、来生たかお、原田真二、南佳孝、甲斐よしひろなど、現在でも知られるビッグネームがずらりと顔をそろえている。

こういった当時のニュー・ミュージック系の売れっ子アーティストが聖子作品に関わるようになったきっかけは、81年1月21日発売の通算4作目のシングル「チェリーブラッサム」から。作詞はデビューより手がけてきた三浦徳子だが、この曲で初めてチューリップの財津和夫が作曲を担当した。同年7月21日発売の「白いパラソル」で、シングルでは初めて松本隆を作詞に起用(作曲は財津)、ここから19作目の「ハートのイアリング」まで松本がすべての作詞を手がけることになる。これによって松本と縁の深い、それまでアイドルにはほとんど楽曲提供をしてこなかったアーティストたちが、聖子の作品を作曲するようになっていくのだ。

松本の起用に先駆けて楽曲提供していた財津和夫は、自身のバンド・チューリップの「夏色のおもいで」で松本と組んでいるが、この曲は松本がはっぴいえんどのドラマーを辞め、作詞家としてひとり立ちした最初の曲で、作詞家としてのデビュー作でもある。ユーミンとは70年代に太田裕美の「袋小路」「ひぐらし」などで組んでおり、大瀧詠一や細野晴臣は、言うまでもなく「はっぴいえんど」のバンド仲間である。また、この時期ユーミンは81年の「守ってあげたい」の大ヒット以来、常にアルバムがチャート1位になる人気アーティストとして女性層の支持が厚く、細野はYMOとして大ブレイクした後、大瀧もまた『A LONG VACATION』が大ベストセラーとなった直後の起用とアーティスト自身の人気も高く、音楽的にも充実していた時期だけに、松田聖子の楽曲は、彼らのアルバムと比肩されるほどにクオリティーの高いものとして、アイドルファン以外にも支持されていったのだ。

意外な作家起用では、「ハートのイアリング」のHolland Rose。これは誰あろう、佐野元春のペンネーム。松本隆は佐野が大瀧詠一、杉真理と組んだユニット、ナイアガラ・トライアングルVOL2の「A面で恋をして」(81年)にも作詞提供している縁があり、残る1人の杉真理は、松本作詞で「雨のリゾート」を聖子に提供したほか、「真冬の恋人たち」では聖子とデュエットもしている。

呉田軽穂作曲の場合、多くはユーミン作品と同じ松任谷正隆が編曲を担当、細野や大瀧は自身でアレンジを手がけるなど、サウンド面でも個々のアーティストと遜色のない完成度を誇っている、また、松田聖子のサウンド面を支えた名アレンジャーとして、大村雅朗の名前を挙げておきたい。大村はヤマハ音楽振興会の出身で、78年に編曲家としてデビューし、八神純子「みずいろの雨」の編曲で、一躍新時代のアレンジャーとして注目を集めた。その2年後、松田聖子のデビュー2作目「青い珊瑚礁」で起用され、以来、「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」「時間の国のアリス」「天使のウインク」など聖子の代表曲のアレンジを、アルバム曲も含め数多く手がけ、作曲まで担当した「SWEET MEMORIES」は「ガラスの林檎」のB面ながらペンギンのアニメーションで名高い缶ビールのCMに起用され、大反響を巻き起こしAB面をひっくり返してリリース、チャート1位を獲得し、聖子の代表曲にまでなった。大村は80年代に、佐野元春や渡辺美里、大沢誉志幸、大江千里らの編曲でも活躍した。聖子の楽曲が時代を超えて今も聴かれている背景には、こういった優秀な作家陣による渾身の楽曲制作があり、今も古びない輝きを放っているのである。
(文=馬飼野元宏)

%e3%82%b3%e3%83%a9%e3%83%a02

馬飼野元宏/まかいの・もとひろ

音楽ライター。『レコード・コレクターズ』誌などのほかCDライナーに寄稿多数。主な監修書に『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド』『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(ともにシンコーミュージック)など。近刊に、構成を担当した『ヒット曲の料理人・編曲家 萩田光雄の時代』『同 編曲家 船山基紀の時代』(ともにリットーミュージック)がある。歌謡ポップスチャンネル『しゃべくりDJ ミュージックアワー!』ではコメンテーターを担当した。

松田聖子

関連番組

最新の記事