インタビュー

レッツゴーヤング

青春の思い出が甦る!アイドル全盛の70年代から80年代前半にかけて一世を風靡したテレビ史上、そして日本のアイドル史上にその名を残す伝説の歌番組「レッツゴーヤング」。歌謡ポップスチャンネルで再放送されるこの番組は、当時の記憶が甦る懐かしくも華やかな映像はもちろんのこと、9年にわたって番組に出演してきた“レッツヤンの顔”太川陽介さんが番組のエピソードや想い出を語る“オリジナルコーナー”も追加されて、当時よりもさらに深みを増したプログラムになります!26年の時を経て再び“レッツヤンの顔”として帰ってくる太川さんに改めて「レッツヤン」の魅力について伺いました。

  • レッツゴーヤング

まさに青春そのもの

中山秀征の有楽町で逢いまSHOW

━━━━━太川さんにとって「レッツゴーヤング」はどういう存在ですか?

僕にとってはまさに“青春”ですよ。18歳から27歳までの9年間ほとんど毎週収録に行ってたわけですから。今でも(収録が行われていた)NHKホールの舞台にいくといろんな事思い出します。苦しい事もあったし、嬉しい時期もあったし、悩んでいる時期もあったし。NHKホールはとにかく僕の青春でしたね。

中山秀征の有楽町で逢いまSHOW

━━━━━楽しそうに司会をされていたのが印象的ですが・・・?

なんか楽しくて仕方なかったんだと思います。やっぱりあの舞台に立ったら楽しくなっちゃいますよね。まぁ明るい番組だからねぇ…明るくやらないと。あえて笑顔でとかそういう気持ちはまるでなかったから本当にやってて楽しかったんでしょうね。もちろん緊張するゲストもいましたけど、とにかく、出演する歌手の皆さんに気分良く歌ってもらおうって思っていました。

「レッツゴーヤング」は集中力の高いショー

「レッツゴーヤング」収録時の想い出

━━━━━「レッツゴーヤング」収録時の想い出を教えて下さい。

「レッツヤン」(「レッツゴーヤング」の愛称)は生放送と同じように収録していたから、僕の司会も全部秒単位で合わせてやっていました。当時は皆バンドだったから音楽のテンポって微妙に変わったりしますよね。だから30秒押しましたとかディレクターが言ってくるわけですよ。

「レッツゴーヤング」収録時の想い出

じゃあ30秒押してるなら、台本でこれとこれをカットするからって言って。皆僕が指示してサブのディレクターの方がインタビューのこれとこれをカットしますって。しかも当時はカンペもなかったんです。司会はもちろん、歌も。他の歌手の曲を歌う時もですよ(笑)。だから「レッツヤン」は出演者みんなの集中力がすごかった。だからあれだけの番組ができたんだと思います。僕はそう、お客さんには歌番組を収録するっていうよりも一つの“ショー”をちゃんと“ショー”として成立させないといけないと思っていましたね。

「レッツゴーヤング」収録時の想い出

━━━━━失敗もありましたか?

凄いアイドルが来た時はインタビューしててもお客さんの歓声がすごくて相手の答えが聞こえないんですよ。本当に近くにいるのに(笑)。でも、リハーサルしてるからその答えが返ってくると思って、質問して、答えて。でも、オンエアみたら全然やりとりがかみあってなかった、ということもありましたね(笑)。一本も苦情は来なかったですけどね(笑)。

「レッツヤン」は夢の扉

「レッツゴーヤング」収録時の想い出

━━━━━今だからこういう見方をしたら面白い!というポイントはなんですか?

衣装ですね。出演者のほとんどは、歌う曲のために作ったいわゆる“歌衣裳”でしたから。今、歌うために衣裳を作るってあまりないじゃないですか? でも、僕たちの頃はその曲のための衣裳でした。まぁ、だんだん人気が出てくるとその曲に2、3パターンは作ってくれるんですけど。新人の頃なんてもちろんそんなに作ってもらえないからね(笑)。多分、今の若い人が見ると違う意味で新鮮かもしれないですね。

「レッツゴーヤング」収録時の想い出

━━━━━今、客観的に観て「レッツゴーヤング」はどういう番組だったと思いますか?

番組のオープニングがとても印象的で、セットにある「レッツゴーヤング」って看板から入って、スーっとズームバックしていくんですよ。何だか、とっても「夢のある世界」の扉を開けるみたいなね。普段の世界じゃなくて、ここから夢の世界が始まるよっていう番組だったんじゃないかなって思います。

太川さんも楽しみにしているという当時のトップシーンを彩ったアイドルたちの貴重な映像が満載の「レッツゴーヤング」。皆さんの心に刻まれた青春の輝きが、今、甦ります。